活路を見いだしたかに見えた大正時代。

Mikity2011-11-11

人の話を聞いて、改めて自分の資料を冷静に考えたり。
母数の決まった団体。
その上に様々な事業、それを継続させるためには、
教義に則った大義名分が必要なんだろうなあ…。
そしてその当時の、様々な上部からの様々な指令。
一方、地域の場所的中心、教育的中心の一翼。


行き詰まったら他の資料に当るとか…
結局は自身の学習なんだと思うんだよ。