勉強会。

Mikity2015-02-25

小学生時代の時とは、
明らかに見方が違うよね〜と話つつ。
被爆70年周年記念法要へ向けての青年会の学習。
改めて、平和公園とその向いにある、
最近納骨されたという仏舎利塔
爆心地公園の石灯籠を見るべく、行脚。
敬礼天人大覚尊〜


そして、原爆資料館へ。
ガイドをしてもらいながら見る資料館は、
新しい発見が多く。
国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館の見学。
ここは初めて見ましたね〜
いつもニュースで見ていた虫干しされていた被爆者名簿が
安置されているガラスの塔を見ましたね。


その祈念館で被爆体験講話を。
双子だとおっしゃっていましたね。
当時は小学生ぐらいですね。11歳、2.2キロの地点。
稲佐町…、縁側で一升瓶の中の米をついていたのを途中で止め、
昼ごはんを準備するので、家の奥に入ったのが、
幸運だったと…ずっと縁側にいたら、11時2分、どうなっていただろうかと。
11時2分前、空襲警報が警戒警報に変わったのは何だったのか、
誰の判断だったのか、調べてもわからないという話だけど。


爆弾が瓦を突き破って天井板を燃やすと火事になってしまうから
天井板を取ってしまえ、というおふれ…
今、冷静に考えたら、瓦を突き破る程の爆弾が落ちてきたら、
ひとたまりもないですよね、結局、国民の戦意高揚ですねと。
金属の供出と一緒ですね…。


その後、お兄さんと、双子の片割れと、
一向に帰ってこない工場で働いていたお父さんを探しに行く話。
浦上川沿いの折り重なった遺体…その匂い。
工場で見つけたお父さんの遺体を焼け残りの木片で焼く…
翌日、骨を拾うも、良く焼けておらず…。