普通講習会。

Mikity2015-06-19

法然上人行状絵図』48巻は、
国宝…知恩院にあって、
全長548m…ってどうやって測ったんでしょうねって(笑)
後伏見院の勅により舜昌(天台)が製作。
鎌倉時代、徳治2年〜10年間。
想像するに資料集めの大変さ…。


目次のカテゴライズをすると、
”立教開宗””奇瑞””帰依者””ご法語””関東の帰依者”
”法難””免授の門弟”…
決して時系列ではなく、編集方針があったということ。


”敵をうらむな…”『台記』という貴族の日記に、定明は登場している。
出家して…というのは、学者になるのでなく、菩提を弔えということ。
遁世とは、独自の立場であり、仏門に入る”自ずと隠遁の心を…”
出家=遁世ではなく、出家→遁世であり、
無位無官で、上人、聖人と呼ばれる。


観覚得業…延暦寺僧の”竪者”、南都僧の”得業”は学僧としての一歩。
試験は10問の口頭試問〜


法然上人の父の死についての説。
法然の父の死は、法然比叡山入山後だ”…三田説
――醍醐本『法然上人伝記』のみの記述。


持宝房源光→肥後阿闍梨皇円(天台顕教
扶桑略記』は、皇円編か?
そうであれば、法然や隆寛にその影響がってもいいのではないか。


天台座主行玄が伝戒師か?行玄は、青蓮院の開山。
探題とは天台教学のリーダー。証真。


”参籠”は、何らかの願望実現のため寺院・神社で祈願も、
宗教的行為で、日常的に行われていた。
法然に夢告はあったのか?
→自身で求法のため学匠歴訪へ


『観経疏』は比叡山には無く、南都僧が読んでいた。
触発されて回心…。
漸進的回心、突如的回心。
そこから、14巻「大原談義」までの11年間は空白。


法然と顕真…”偏執の失”反論、
再び対面…大原談義も勝林院なのか竜禅院なのか。
法門比べでは互角、
機根比べでは…現在の機根に有効なのは
浄土門という主張に誰もが納得。


選択本願念仏説の創出…法然独自の思想
東大寺講説はあったのか?東大寺の記録には無い。
大仏殿の十六想観堂前で浄土三部経の講術、
「善導大師御影」を掲げる。浄土五祖ではない。
『選択集』の”念仏為先”と”念仏為本”


建永の法難は、建永2年2月9日。
尊長が執行も、六条河原ではなく、近江の馬淵か?