思えば面白い。

Mikity2015-10-11

中世以還、公卿と共に僧侶が
教化の担い手であったということの外、
さらに寺院の設営上の性質そのものも
多少の関与を有している。
仏教が山岳を出て街の間に交わってからは、
設備が児童の通学に、適した場所だった。
信仰の為に建てられたる堂宇庫裡が
教化のために用いられたのは、
まことに適はしい利用であり、
先祖代々の菩提の為に冥福を祈る所の設営が、
子々孫々の教養化育の機関に使われたのは、
思えば面白い現象であるが、
それは比較的大きな屋舎と広い地域を有するからである。
この関係は、明治の始めに寺子屋を廃して学校を建てる際にも、
寺院がその差当たりの場所として
最も多く用いられたることによってもよく判る。
                 ――乙竹岩造