Mikity2010-02-01

今ひとつ信じられないんだよね、
どうも信じていないんじゃないかという自分がいる、
ということだろう。
このモノの溢れる中、
形ないものを信じることは難しいかもしれない。


”信”について考察を加えようとしているが、
なかなかどうして…。
”仏法の大海は信を能入となす”と龍樹は言っている。
当たり前じゃんそんなこと、とだれもが思うことだと思いつつ、
しかし、これは結論か序章なのかと考えるに至った。
ずっと授業を受けている、哲学と神学の問題のこともある。
”信仰が前提になっているじゃないか””信仰のあるものに哲学はできない”


そして、修行には様様な修行があるからだ。
それは”覚り”に至るまでの修行だからなんだろうけど、
信と無関係とは思えない。
これは仏法だけじゃないと思うけれど、
その何かを信じる時、
興味本意であれ、やはり何か(誰かが言ったこと書いたことなど)を信じて
”それ”を手に取る、”その”話を聞いてみる…、”それ”をやってみる…


信仰って様様な形で残っている。
地域性豊かだ。
そんなことからも”信”に対する人々の関心?努力?が
伺えるのじゃないかと思うんだけど。