Mikity2010-09-08

台風は通り過ぎたみたいだ。
雨風は、そんなに酷くなかったかな。
でも、やっぱいつもの進路と違うよね。


昭和11年の資料。
通達や決議事項などの堅い文書は、ひらがな部分がカタカナだ。
そして難解。漢文よりマシだけどね(笑)
明らかに戦争直後の文章と違うので、理解に時間がかかる。
まあ、書き手の立場(役所と記者の違いとか)にもよるんだろうけどね。


昭和12年には日中戦争(どちらも開戦を表明してないから事変か)に突入する。
日本の…長崎の経済状況は悪いようだ。
国が戦争するからといって、人間は生活しなければならないことに変わりはない。
当然、事情で親を亡くした子、欠食児童がいたりする。
さらに農村における経済的問題など…生活苦で親子で自殺とか。
戦前も戦後も人間の生活に関わる問題は、山積みだ。
戦前は、特に子どもの問題に社会は取り組んでいるようだ。


問題に対して、社会事業家に任せている部分は
とても大きい…丸投げじゃないかと。
それではダメだということで、調査をし、皇室からの支援に始まり、
団体の設立、財団法人化という段階を踏む。
予算をつけて…どうのこうの、というしくみ作りまで程遠い気がする。
どこまで人の関心があったか、ということだろう。
社会事業関係者が、小学校長に理解を喚起したり、
今後、社会事業の将来は、農繁期託児所に特化していくんじゃないか、
という懸念を誰かが吐露すると、協議会、講演会と勉強会が開催。
しかし、社会は軍事援護に向かっていたりね。