Mikity2007-05-13

お寺のこと、大村のこと知ろうってんで、
”大村史談会”の史跡探訪に昨日は、武雄(佐賀県)へ
行ってきました。


何故、武雄か?
武雄領主19代後藤貴明についてである。
後藤貴明は、天文3年(1535年)に
大村純前(大村純忠の養父。大村氏の当主で、肥前の有力豪族)の次男として
大村に生まれ、天文14年5月、12歳のときに武雄領主後藤純明の養子となる。
で、昨日は”武雄市の史跡をたずねて――後藤貴明の史跡を中心に”


貴明は後藤氏の最盛期を築くが、
徐々に龍造寺(豪族佐嘉水ヶ江城主)に圧迫され、
天正5年の和平の時、龍造寺隆信の子、家信を養子に受け入れる。
貴明は黒髪城に移り、武雄は龍造寺系となる。
同年に隆信が大村を攻め、貴明、家信はこれに従う。
同7年7月に大村純忠は降伏。
龍造寺隆信肥前全域を平定。これ以後、貴明は隠居。


貴明が亡くなった際、菩提を弔うために建てられた光明寺へ行き。
貴明のお墓にお参りした。


貴明寺(貴明自身による創建、開山は大村の某お寺の住職幸崎徳雲和尚)の
ご住職は、
”ゆっくり、座っている時間はあったのだろうか、この人は?”と
貴明の戦ばかりの人生を思い、おっしゃっていた。
郷土芸能として”荒踊り”というのが残っているそうだ。


生涯、戦いに身を捧げた人。
しかも生まれ故郷に攻め入るという運命・・・。
そして栄枯盛衰・・・。奢れる者も久しからず・・・と、
一人でつぶやいていた昨日一日。


写真はボケボケですが、麦畑なんて最近見てない!と思い、
写メしたものです。