Mikity2007-09-17

肥前国西松浦地区探訪”ってなわけで、
昨日は、台風来てるんじゃ?という天候の中、
出発しましたよ。


世間は”敬老の日
そちらの方にお手伝いに行かないとっていう中、
松浦市の史談会の方たちには親切に
先導、解説して頂いた。
タイムテーブルがキチッと決まっていました。
何でも史談会役員で何度も話し合ってコースを作って
頂いたそうだ。有り難いことです。


改めて、長崎は島が多いなあと思った。
海をみると、島がいくつか見え、船が見え、魚を養殖しているのが見え・・・
元軍が押し寄せたり、朝鮮へ出兵したり・・・
位置的理由もあるよなあ。


元軍は日本遠征のために、鷹島沖の伊万里湾に、
艦船3500、総兵10万の大軍を集結させ、
さらに翌月にも途方もない船団で伊万里湾を埋めつくした。
博多湾へ向かう体勢を整えたが、猛烈な台風に襲われた。
艦船は海底の藻屑となり、夥しい数の兵士の屍が海上
埋め尽くしたそうだ。


その時の兵士達を葬った塚という千人塚へ行った。
周りは畑に開墾されていたりだが、
他にも2〜3箇所残っているということ。


他にも元寇に備えての防塁など。
300メートルも渡り、野面積みの石塁が残っていた。
もっと延々と連なっていたそうだが、
台風で防波堤が崩壊した際、修復にしようするため、
取り壊されたとのこと。


いつの時代も台風に、自然の驚異にさらされているなあ。
自然と共生するために、人は色んな知恵を絞ってきたんだろう。
そうやって、進化するんだな、きっと人間は。
この便利になり過ぎた現代には、
知恵を絞るってことあるだろうか。