Mikity2007-11-07

”まちっと(もうちょっと)降らんばねえ〜、
湿っとらんもん(草木や土が)”
”そうねえ〜”
昨日の雨は申し訳程度だったな。


そう、昨日は諫早のお寺へご詠歌のお稽古へ行きました。
本堂とは別の、立派な講堂でいつもお稽古です。
舞台に斬新な書が書いてある大きな屏風が飾ってありました。
読めん…。


開山忌の時の奉納曲の練習。
いろは御和讃のお舞をする人が昨日はお休みだったので、
”いろは御和讃”と”来迎御和讃”のお称えの練習。
その前に、”十夜和讃”の練習をしていたので、
”〜♪帰命頂礼〜弥陀如来〜♪”と同じ歌詞の”来迎御和讃”を
歌いだすときに、皆、少々間違いかけました(笑)
節は違うんですけどね。


まあ、そんなこともありつつ…。
”あーもう見えん!!”って譜面を見ながら、眼鏡を掛けながら。
”40歳代から老眼掛けよっとさ〜、あ、でももっと年ば取ったら
眼鏡いらんごとなるらしいよ〜”
”それって、老化現象げなって!!!”
”そんな老化現象いいねえー!!”


そして、一端寺へ帰り、ぢいちゃんを降ろして、大学へ。
”あー間に合うかなあー?”って。
先週は熊本行ってて休んだし。是非とも出たい。
遅刻覚悟で行ったら、なんと学生行事があって、
授業時間がずれて、まだ始まってなかったー。よかったー。


”昭和恐慌期の社会事業”
この頃は、日本が貧困のどん底だった。
日本の恐慌に始まり、関東大震災世界恐慌だ。
そんな中、”救護法”立法。そのほかにも社会事業諸法。
ついに国が介入してくる。


明治時期の慈善事業は、ホントに慈善家(宗教家など)の力に
頼っていた中、組織化、近代化、つまり、一般人を雇うようになった。
その中には、社会事業を勉強した大学卒の人も。
様々な、法律が成立していくのはこういった背景。


”民生委員”の前身の”方面委員”の制度。
この制度があったから、ボランティアで動くっていうのが
戦後、比較的スムーズに浸透していったと思うと
先生はおしゃっていた。
地域の相談役はなかなか大変だ。今はなり手が少ない。
でも在宅介護やってたときは、お世話になったし、
色々あったなあ…。