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昨日は、諫早市内のご詠歌初会。
トイレ掃除もサッと。
老僧(ぢいちゃん)起きたかしら?
早目の出発です。
ちょっと風邪気味だね、ぢいちゃん。
咳と痰が出てるね。
いつものように、新年の挨拶から(笑)
そして本山参り〜
総本山、大本山のご詠歌、ご和讃など。
”〜♪吉水の〜流れ大きく、大〜きく千歳川〜♪”
・・・さすがにパワーダウンだわね。
いつもの荒々しさ(笑)がないわ。
お稽古終わりまして、食事会です。
座敷に用意されていました。
温かいお味噌汁とか、自家製漬物、金柑味の寒天(美味い!)
果物、諸々のご馳走に、お弁当ですから、
昨日も腹一杯〜。
そして、踊りのご披露です(講員さんです)
地域で踊りが盛んなようです。
きよしのズンドコとか、男役と女役で二人で踊るとか、
みなさん芸達者ですね〜。
ここのお寺で吉水講が始まって25周年になるそうです。
節目節目を祝っていらっしゃるようです。
いつにしようか、と何故かそこでぢいちゃんがノリノリでした(笑)
そして、感謝の花束を頂き、おみやげ(アレです)を頂き、
至れり尽くせりで帰ってきたのでした。
ありがたいことです。
その後は、大学へ!
社会福祉の”権利性”について。
かつて、社会福祉は権利だと言われていた。
生活保障、人権保障の社会的実践(一番ヶ瀬)
しかし、今そんなことを言う人はいない。
まず、”権利”って何か日本ではあまり浸透していないように思う。
そこには、権利を抑制してきたという歴史。
公益質屋法など。
そして1957年朝日訴訟。
生活保護が憲法25条の生存権を保障していないとして、
朝日茂が厚生大臣を訴えた。
結果として敗訴だったけれども、
その後の政策に多大な影響与えている。
生活保護施行への前段階として、
1929年救護法があるが、行政側の救済措置で、権利性はない。
受ける人は増えたけれども、一方適用しなかった村や町もあった。
村に、貧困で苦しんでいる人が一人もいないなんて考えられないですよね、と。
このような歴史を知ると、「病院」にはかかるけど、
”「福祉」のお世話になる”のは、
惨めなこと、恥ずかしいこと、となるのだろう。
権利だとは思っていないのだ。
必要だけど、介護保険を利用していない人も多い。
この授業は昨日で終わりでした。
先生、お世話になりました。
またお会いできる日を〜。