Mikity2009-11-20

昨日はトイレ掃除各所。
教師部屋の掃除など。


続き。
信じたことを、真の理性をもって認識する人は、
信じたことを知ろうと欲しない人にまさっている。
人がもし知ろうと欲せず、知るべきことを
ただ信じるだけで十分だと考えているならば、
彼は信仰の公用と目的について無知である
…われわれが理性的魂を持っていないならば、
信じることさえできないであろうからである――アウグスティヌス


『信じる』とは、知性が自らにつきつけられた明証や証拠に強いられて
承認を与える行為ではななく(『見たから信じる』ではなく)、
むしろうながしによって、
いわば知性が自由に自らを超え出て承認を与えることに
ほかならないからである。
『信じる』ことにおける人間知性、もしくは理性の自己超越は
自己を理性として破壊することではなく、むしろ完成することであった
信仰に呼び起こされ、駆り立てたられ、
導かれる探求は『学』に値する――稲垣


神学と哲学の両学問について、トマスは?
形相的立場… 物の可能態としての質料を限定して現実的なものたらしめる
本質的な原理。エイドス。⇔質料。
「視覚を例にとるばらば」…
人間もロバも石も、等しく『色あるもの』であるという
単一な形相的側面において一致するのであって、
これらはいずれも視覚という単一な能力の対象をなす。