Mikity2010-10-14

…続き。
もう1コマは、大阪の小学校で3年間ブタを飼い、
そして食べよう、ということを提案し、
実行した先生のお話。
本を読んで、映画も観ていたので、
当事者のお話を聞けるのは、私にとって貴重なことだった。


ブタを飼うことによって、命について死について考える。
人を介護し、見送った経験…小・中・高・大学でもいいから
死について考える時間が欲しかったということ。
死は不合理だ…。
実に様々なことを学ぶ。
ブタを選んだ理由は、大きいこと、臭いがあること、
生命力が強いこと、家畜であるこということ。
ペットと呼ぶには、大きすぎる。
でも、ブタは個体識別ができるらしく、愛着がわく理由の一つじゃないかって。
ペットか家畜かとは、誰が決めるのか?


やっぱり”自分で”世話をし育てたし”食べる”ということについて議論。
そして、小学生もその当時の自分の中で、きちんと考えて発言している。
ディベートが成り立っているのだ。
引き継いでくれる下級生にお願いするか、食肉センターへ送るか。
先生のクラスの32人は、真っ二つに別れた。
そして、ディベートを重ね、32(引き継ぐ)対0(食肉センター)になった。
しかし、それを先生はひっくり返し、食肉センターへ送った。


このことから、10年後に本を出版。
その経緯は初めて聞いた。
2001年に起こった、大学附属小学校の殺人事件。
そこで先生は教鞭をとっていたということだ。
正に殺人のあった教室で教えていたと。
だから、その事件は先生自身の中で衝撃が走った、何か行動をと。


自分の(先生の)中に無かった子供が発した言葉は、
”ちょっとでも命が延びてもらえたらいいねん”
引き継いでもらう派の子供の発言だそうだ。
その子供達が、20歳になった時に、映画を観てもらったビデオを見た。
”Pちゃんだから食べられたかったのか、他のブタなら食べられていたのか”
と、様々なコメント。
とかく、結果をすぐ出しがちな昨今、すぐ結果の出るものと、
時間がかかるものが、教育にはありますね、と。