Mikity2010-10-13

昨日は研修会へ。
源智上人が発願して造立された阿弥陀如来像。
他宗派から浄土宗へ譲り受けた。
勿論、賛否両論が。電話がガンガン鳴ったそうだ。
今でこそ立派な本堂が建立されているが、
無住の荒れ寺だったとか。


源智上人は、平清盛の曾孫にあたる方だ。
一ノ谷の合戦以来、母親と各地を逃げ回る生活。
この子をどうしたら守ることが出来るのか…
法然上人を訪ねるのである。
そして、法然上人に常隨給仕されるのである。
そんな生活を送っていたので、前に出ることなく隠遁な性格。
法然上人の御遺訓である『一枚起請文』を肌身離さず持っていた。


そんな源智上人が発願されて造立された如来像の中には、13点納入品があった。
雁皮紙の「造立願文」や「結縁交名帳」である。
その結縁交名帳には、亡くなった方の名前や、上人の敵になる人の名前まで
あったということだ。日付は建暦2年正月24日。
万人救済、衆生救済”募財は教化なり”


願文の読み下しの資料を頂いた。
…いまここに私は、新しく三尺の弥陀像を造立し、
先師の恩徳に報いたいと存じます…
…この造像の心は、とりもなおさず全ての人の生死することのない
彼岸の世界に安住させるという救済(すくい)を基調(みなもと)とし、
人間の性にふりまわされている凡夫も、
十地という菩薩の階位にある聖賢も区別しない心であり、
”迷いとか・悟とかいって、わけへだてしないで”
両者を包み活かすという不二のこころに基づいて、
全ての人を生死の煩いを越えた彼岸の人に
生まれかわらせたいという大願を発しました。
師の上人から受けた恩徳を謝し、それに報いることができると存じます。
これこそ、真の報謝でなくしてなんでありましょうか。