Mikity2007-06-23

とにかく、出られる日は出ないとね、授業に。
しっかし、昨日は雨が酷かったー。
霧みたいになってて視界が悪く。


昨日は、”安楽死”についてだった。
昭和58年の新聞に、先生が原稿を書かれたものの
コピーを頂いた。
その当時は、”安楽死”。
今は”尊厳死”ですかね。


リビング・ウィル(living will)――生前の安楽死意見表明文書、
に署名するかしないかの問題。
今も、盛んに問題になっている。医師が訴えられているとか何とか。
署名している場合、医師はその希望(安楽死)をいれても
法律上責任を問われることはないが、
署名していなかった場合、その保証は無い。


”生にしか興味の無い現代医療、死にしか興味の無い葬式仏教”ってどこかで
読んだ文章・・・。痛烈な批判。
医療が進歩したために延命至上主義が、暗黙の了解のように支配している。
本人が意思表示をしていても、周りの家族が納得しない場合が多いよう。


先生が話されたアメリカの例。心臓発作で倒れた女性。
奇跡的に命は取り留めたが、意識はなく、水分と栄養剤の点滴の管に
繋がれて生きている状態となった。
夫は、もうこの管を外して欲しいと願った。
しかし、女性の両親は猛反対した。
そこで州の裁判になり、州知事はもちろん大統領まで巻き込む裁判となった。
結果、判決は夫の主張が通った。その女性は息を引き取った・・・。


先生は、あらゆる末期患者に対する配慮が、倫理・道徳的に
よりふさわしい患者本位のものになるよう努めていくことこそ
時間はかかっても正しい解決への道であろう、と。
この努力を差し置いて、特定の書類に署名だけの、
法律上の権利として保護するのは方向性が違うと、述べておられる。


”あそこの○○さんは署名した。私も署名しなきゃ!”と焦ってしまう、
お年寄り(限らないが)が増えてしまうのでは?と。
追い詰めてしまうことになるかもねえ・・・と思った次第。
自分なりに理解を深める必要がありますね。