Mikity2007-09-29

昨日は、大学へ行きました。
後期の始講は来月1日というのに、
学生(学部の学生だから若い!!)が
たくさんいました。何やろ?
久しぶりに大勢の若者の出す空気感(笑)を
味わいました。


レポートを書き上げようと研究室へ行ったら、
2人の院生が勉強していた。
一人は小論文と研究計画書(奨学金のための)作成、
一人は英語の勉強。単語カードなんて久しぶりに見たよ〜。
彼女は塾のバイトもしてるからなあ。


”人間とは何か、文化とは何か”についてまず考える。
地球上に生息してきた生物としての人間。
ここで考える「人間」は
ただ生息しているといったような単純な存在ではなく、
自分が自分を何であるか作っていく、
課題を担って生きていく生物ではないか。


人間は、本質的に自己自身とその環境を開発することによって
存在しうると考える。
「文化」を示す欧米語の語源となったラテン語の cultura は、
「耕す」や「耕作」を意味する言葉であるが、
この開発を「文化(Culture)」と呼ぶとすれば、
人間はその本質として文化的な存在だということが言えるのではないか。
文化はこの大地(人間)を耕すことであり、
自己とその環境の開発を意味している。


授業とテキストである先生の本から考察して書いているけど、
なかなかどうして(笑)
人間は「人間とは何か」を常に問わざるを得ない存在なんだな。
それって究極だし、きっと死ぬまで考える。


”人間は、常に自己自身と自己の環境を開発しなければならない存在”
だからである、と。