Mikity2007-10-19

昨日は、ババッと掃除を済ませ、大学へ。
ゼミは多分発表の順番だと思うんだけどな・・・。
ま、早く行って仕上げよう。


欧米における、痴者教育史。
昨日は先生の論文を基に、勉強しました。
”白痴”ではなく、”痴者”という言葉を使ったけど、
”あまり定着しなかった、人気が無かった”と。


”白痴”と聞くと、何故か、高村光太郎の”智恵子抄”を思い出す。
中学生時代に読んだ。”夫婦愛だよねえ、いいよねえ”と友達が言っていた。
ませてんなあ〜、とその友達のことを思ったもんだ。
その当時はよくわからなかったけど、
仕事をしてから少しわかったような気がした。


次は”文化”について考える。
”文化とは行為の源泉であると同時に行為の否定であるように思われる”
ここでいう、”行為”の解釈を、文脈から美的なもの、芸術として考えた。
が、ここで先生のツッコミ(笑)
やはり、ここでいう”行為”は”action”だろうと。
すなわち、”生きる”という行為。生活。


”文化は絶対的な完成という理想であると同時に、
その目標へむかう不完全な歴史的プロセス”
”文化”をそう、”プロセス”だとようやく理解できるような気がする。
今まで前述のように美的、芸術と捉えていた。浅はかな考え。


歴史的に文化概念が近代に向かうにつれ変わってきた時代。
ラディカルなロマン派、ポストモダンノスタルジアにアレルギー反応)思想。
”文化は徴候であると同時に解決でもある。
文化が価値のオアシスなら、それは様々な種類の解決を提供する”と。
文化の危機に対する反応だ。しかし、文化のカテゴリーを縮小する。


”創造性”って?
創造性が音楽とか詩に限定されていく社会状況下において、
マルクスは宗教に問いを投げかけた。
”いかなる悲惨な疎外のために、このような超越性が、
貧相な埋め合わせとなったのか”
これは、”宗教は逆境に悩める者のため息であり、それは民衆の阿片である”
という考えの上の問いだ。
”歴史の形成原理は、宗教的理念でなく下部構造すなわち労働にある”


”文化”とは何か?と先生。
簡単に言うと、”価値及び価値の様式”だと思う、と。