Mikity2007-12-14

昨日も掃除を済ませ、早々に大学へ。
最近夜に雨がふっているようだ。
路面が少し濡れていた。


早目に図書館へ行って発表の準備。宿題やり。
研究室へ行ったら、昨日は賑やかに人がいた。
皆のそれぞれの研究の話を聞いた。
さて私はどうなの?


ゼミの先生の教室へ行くと、何やら教具がいっぱい!
セガン研究を先生はなさっているので、
文献に書いてある(昔は本に写真はなかった)通りに
復元したものだそうだ。
木でできた、色なしの一尺(約、肘から手までの長さ)
3寸角の木が、数本。
これを使って、積み木にしたりして遊ばせる。
知的障害者の教育に使用した。
他にも、小豆や綿の入ったお手玉の少し長いタイプのもの。
四角い袋になった豆袋。どれもシンプル。
これを投げたり、触ることによって感覚を養う。


一尺の積み木を、横、たて、横、たて・・・って積み上げるのは
結構、時間がかかる、すぐにはできない。
5段ぐらい積み重ねるようになった頃には、
モノの考え方などが構築されてくるとのこと。
豆袋を投げ合うことで、コミュニケーション能力が
出来てくるということ。
今の理学療法室にあるリハビリ(作業療法)の道具に似てるー。


”incultulation”について。
昨日は、違う同義語を使って説明。
”accommodation or adaptation”による説明。
どちらも”適応”といった意味。
中国に宣教した宣教のプロセスから、その説明のために
マテオ・リッチが使った言葉。
中国ですから、その当時、儒教文化。
そこにどのように・・・


そこには、まず相手の理解から・・・だったようだ。
言葉、習慣、そして衣食住。
そこにaccommodateするのは大変だったと思う。
でもこのマテオリッチの方法は当時、画期的だった。
つい、押し付けのようになってしまうもの。
自分がいいと思っていても、
相手はどう思うかわからないしね。