Mikity2007-12-19

昨日は、掃除を済ませ大学へ。
発表だしねえ・・・。
本も読みたいし。


図書館行ったら、寒っつ!
そうこうしてるうちに、上から風がバーっと
何だ!?と思ったらエアコンの風。
段々暖かくなってきた。
けど足元の寒さは否めないですね。
ようやく冬の寒さってとこですかね〜
2月の京都も寒かろう・・・


山室軍平救世軍における社会事業について。
山室軍平も、留岡幸助岡山県出身。
石井十次岡山県で勉学を。そして孤児院をつくった。
そうだ、我が浄土宗開祖、法然上人も岡山県出身。
何か、人を導くような人をつくる土壌があるのでしょうか。


救世軍はイギリスに本営があるプロテスタントの教団。
宗教活動の他に、社会事業、救護活動、医療活動、相談事業など
様々な種類の活動を網羅している。
その日本救世軍の士官第一号が山室だ。


軍を模しているところが救世軍の特徴。
例えば教会を"小隊"とか、機関紙”ときのこえ”を人々に配ることを
”発射”と言ったり、と知らない人にとっては”気持ち悪いですよねえ(笑)”
と先生は言っていたけど。


しかし、活動力は目覚しい。
山室軍平は真面目で筆まめで、資金調達能力が優れていたと思う。
要は、交渉力があった。英語の同時通訳ができたそう。
例えば、日本で大地震や震災があったら、
外国の救世軍から、資金や物資や人材がすぐ届く。
そういう組織だといわれればそうなのだろうが、
”必要なものは必ず得られる!!”という信念が伺える。


自身も、学資のことはさておき(養家を飛び出している)、同志社へ入学したり。
素晴らしい上級生に助けられている。とても献身的な人にだ。
吉原が大炎上した後、”公娼廃止論”を出している。
とても厳しい内容だ。
そして彼は”禁酒のすすめ”という論も展開している。


当時の人々の状況を考えると、
これがスムーズに通る運動だったかは、
山室の当時の人々の理解が足りないところと
先生が言っていた。
山室自身はとても強い人で、素晴らしい人だっただけに、
上から押し付ける形になっていたのでは、ということ。
現に、遊郭は無くならなかったわけだし。


しかしその当時、こう国際的に活動できる人もなかなか・・・。
内務省も支援したり、しかし(天皇から褒章受けているから)
山室が亡くなったら、憲兵が動いたり・・・
そのあとイギリスと戦争してるしね。
めまぐるしい・・・。