Mikity2008-02-18

昨日は、肥前国松浦地区探訪。
早朝はマイナス1度ぐらいだったかなあー。
だいぶ5時代は明るくなったなー。
早々に本堂を片付け、寺を後に集合場所へ。
皆さんお早く、やっぱり最後の方。


真っ先に、いつもぢいちゃん(老僧)と行っている
お寺の鐘楼山門を拝見。
市の指定文化財ということで。
隣の早岐(速来)神社へ行きました。早岐城跡。
立派な鳥居とお社でした。


その後、『佐世保歴史散歩』を書かれた先生を講師にお迎えし、
針生島へ。
島が多かったことが偲ばれる、谷になっているところは
干拓地だと考えていいだろうという話。
”〜丘”というところは、牧畜民族が牧畜を見張るために
高台に住んでいたということ。


(昔の人は)川の作り方が上手ですよね〜と。
日本人は、山など高いところには住まず、
ジメジメとしたところを好んで生活していたんですね〜と。
農耕民族ですしね。


浦頭へ。
引揚援護局のあったところだ。
佐世保へは、森繁さんとか加藤登紀子さんとか大勢の人が
引揚げ上陸されたところだ。
先日”局史”という資料を見たばかりで、原本がケースに飾ってあった。
厚生省医療局などの手書きの資料が他にあった。
女性の病気(性病など)の治療、堕胎についてだ。


孤児についての記述がないかと見ていたら、
新聞のコピーがあった。
孤児は大村と佐賀のお寺とあと4箇所に分かれて収容されている。
そこの出身の子供がどうしているかという記事だった。
”局史”を裏付ける話が聞ければいいなあと思った。


無線塔も見に行きました。
135〜137mの塔が3本建っていました。
ニイタカヤマノボレ”の暗号無電を発信した無線塔。
取り壊す話もあるそうだが、保存しようと。


子安観音を抱えた大楠。
何人で囲める〜?って(笑)挑戦している図(写真)


・・・これから京都へ教師養成道場へ行きます。
終了の暁にはご報告できるかと思います。
3月4日あたりかな。
行ってきまーす!