Mikity2008-05-10

昨日は、花の活け代え。
ファーマーズマーケットへ買出しに行きました。
カーネーションが盛りでした、やはり。
2時間強。


午後から、老僧(ぢいちゃん)を
ご詠歌のお稽古で諫早のお寺へ送って行きました。
昨日は授業もため、その後は大学へ。


ぢいちゃんのカバンを持って玄関へ行くと、
いつも練習している場所が斎場になっていました。
お通夜のようです。
あとから聞いたら、ご詠歌で一緒にお稽古していた高齢の女性
だったそう(新年会の時に詩吟をご披露して頂く方だった、確か)、
みんなでご詠歌をあげてきたということでした。
十念。


出来事(日常言語)についての原因(学術、専門用語)を捉え直す。
人間の行為に関わる”日常用語”は無限にある…”人間の思い”
しかし、それを置きかえてはならない。
人間の思いが正しいとは限らないけど。
人間の思いを吟味する、自他共に。


人間の言語は何を支えにしているか、ということと
我々が何を支えにしているかということは、同じことということができる。
無知の知”・・・ソクラテス


倫理的事実と倫理学研究の違い。
子供に対するしつけ、善いか悪いか・・・ロゴス(理性)
しつけとはロゴスを自分のものにすること――アリストテレス
ロゴスを持たなければ、”言うことを聞く”しかない。
聞いたほうが人間らしく、自分らしい。


しつけられる前の状態は、したいことをする・・・
しかしそれは”自由”ではなく、自己。
本当にしたいことは、外にある・・・
やりたいことがやってはいけないこと・・・という風に捉えられてしまう
ことは不幸なこと、しつけの失敗ということになる。


どうしてロゴスを持つことができるのか。
秩序、決まりを現す。音楽は秩序…天体などを現す。
音楽はロゴスに代わる働きをする。
音楽は、リトモン、秩序(言葉)とハルモニアで構成されている―プラトン
感情を現すことができ、心の深いところへ入っていくのが音楽。


人々の思い・・・例えば”良き生活を送りたい”
良き生活って?
”いかに生くべきか”・・・自分に課せられた問い、自分に委ねられる。
どういう風に生きるか、どういう生を生きるか。
それは人々が思う良き生活と、必ずしも合致しない。
人間のやっていること、”為すこと”は、自然に何かに為っていることはない。
その中で生きている人間の凄さ。


進化論。
聖書否定、人間とは何かということが変わる。
動物と人間は共通なところから始まっている。
理性(ロゴス)の有無。
reason―ratio―logos
intelligence―intellectus―nous(知性)
欲求→対象。その過程でどんな手段を用いるか。
何かを達成することが出来れば知能がある?
胡桃を割るカラス・・・
カップラーメンを食べる以前にやる様々な行為をする人間。
しかし”食べる”ということについては同じ。
道具を使う人間・・・技術的知性(プロメテウスの火
技術的なことを使って生きることはできるが、自然的能力はゼロ。


Observavitis dies et memses et annos.
あなかがたは日々(の定め)と月と年を守っている。
Idem est non esse et non apparere.
明らかにできないということと、存在しないということは同じではない。
Idem velle atque idem nolle,ea demum firma amicitia est.
同じことを欲する、同じことを欲しない、それは結局確かな友情である。


”いかに生くべきか”、音楽についてのこと、
ラテン語の最後のセンテンスについて、
ですね、昨日は。