Mikity2008-05-11

昨日は、朝から雨。夜中からか。
玄関掃除を終え、老僧(ぢいちゃん)を市内のお寺へ
ご詠歌のお稽古の為、送る。
大学の博士論文発表会へ出席すべく
昨日のお稽古も、失礼して。


続々と人が集まって、発表スタート。
何度もリハーサルを重ねられていたので、スムーズでしたね。
"生活の主体者"になる。
システム、スケジュール、管理体制の一部分になりがちな当事者。
どうしても施設というとそんなイメージというか現実がつきまとう。
しかし、看取りを施設でおこなうとなると、
利用者、家族の意思尊重で進むべきだ。


そんな施設が普通になるには、やはり死についての教育というか
考える時間がないと困難だなあと予想する。
病気の発症から、または老化衰弱から等きっかけは様々だとしても
行く先は死である。
それに行き着く過程が大変だったり(社会のシステム、
医療のシステムに乗らんとするがために)するため、
その最期のところがおざなりになってはいないか。


宗教の役割について、どのようになっているか。
看取りの場面。論文は頭で考えずにデータを収集!!と、先生が。
こういう日が一番嬉しいんだよ、と。
酩酊・・・(笑)