Mikity2008-05-31

昨日は、花の活け変え、2時間強。
終わりまして、老僧(ぢいちゃん)と耳鼻科へ。
”久しぶりやね”


帰って、ご飯を作り、食べ。
ぢいちゃんが銀行に行くというので、
ぢいちゃんのメインバンクで降ろし、
”待っとくさー”って言うと、
”よか(歩いて帰る!)、早う学校行け!”って言うので、
大学へ。


バリニャーノの日本人観。
高く評価していた。まず、独自の文字を持つという点。
日本人司祭を誕生させようと考え、行動する。
1605年、『サクラメンタ提要』を長崎で出版。
洗礼とか葬式とか結婚式とかの秘蹟を執行するための手引書だ。
復刻版を先生が見せてくれた。赤と黒の二色刷りってのに驚く。


1580年〜20年間かけて、司祭養成をし、
1601年日本人司祭誕生。
その当時のヨーロッパの司教といえば、領主と同意。
そのようなつもりで、日本に来ると苦労する。
実際苦労したようだ、食べ物などなんかは。


日本人平信徒にある程度のことが出来るように権限を与えた。
看房や同宿、小者、宿老。
仏教用語から来ていて、キリスト教会では、各教会の管理・保全にあたる傍ら、
信者の祈りの指導や時には洗礼を授け、病人や臨終の人の世話、
葬式の手伝いなどをしていた。
同宿は、宣教師と共に寝起きするところからそう呼ばれ、
宣教師の補助をし、未信徒の教化、一般信者への教えを行った。
宿老は、いわゆる地域の長老で、子供の教育を担っていた。


秀吉の追放令。
”日本は神国だから・・・”
異国の神に対して邪教キリスト教は相容れない。
まず、高山右近に棄教を促した。
しかし、秀吉の思惑とは裏腹に、高山右近は棄教をかたくなに拒んだ。
右近の態度にキリシタンへの恐れを更に強くした秀吉は、追放令を発布。
イエズス会の教会、病院、学校など次々と破壊されていく事となり、
長崎のイエズス会領も没収されることとなった。


一緒に授業を受けている人と、
記録がよく残ってるよね・・・、しかもバチカンにさ。
宣教師に報告書を書かせていたわけだしね、
と話したところ。