Mikity2008-07-11

昨日は早々に掃除を済ませ、大学へ。
今日も暑くなりそうだーっ。
研究室へ行ったら、先生が小さいやしの木の
模様のついた涼しそうなシャツを着ていた(笑)
長崎は東京と違って風が涼しいから、家では玄関から何から
開け放していたら涼しかった〜、と。
東京は夜になっても暑いですからね。ヒートアイランド


韓国の介護保険は今月からスタートしている。
国会ではどれぐらい審議されたのだろうか。
日本の介護保険をモデルにしている。
現物給付だ。しかしケアマネジメントが無いというところが
課題ということだが。
担い手の養成制度の説明があったが、
やはりそこは日本も問題なところなので、韓国も大変そうだな思った。


Bibliographyの訳の続き。
1837年知的障害者教育が、ビセートル(男)、
サルペトリエール(女)で始まる。
混合貧民管理院(出獄者、老人、病人、障害者等)から来た残った彼らは、
障害の程度も重度で大人だった。
その中でもidiot(生まれ付きで不治)とinsane(中途で治る)とが
すでに分かれていた。
背景には市民社会の形成。人々には責任と能力が問われた。


イギリスで、これを意識した民間の施設が
1848年バースに出来る。
1855年アールスウッドに公的な施設(精神薄弱)
1859年コルチェスターに出来る。
・・・「コルチェスターエセックス・ホール白痴児で、白痴児、愚鈍児
及び精神薄弱児に対して行われていたドリル、体育の方法と言語教授法」


アメリカは、1848年マサチューセッツで始まる(ハウ)
セガンは潜伏期間を経て、アメリカへ渡る。
1851年ウェルバーが校長でニューヨークに。
セガンルーム”といって感覚運動訓練質があった。
子供が入ってきていた。軽度の人たちを対象に、小規模で卒業を目指す。
”訓練すれば治る”という仮定のもとに。
障害児教育でそうなら、一般人にも適用しようということで
義務教育が始まる。逆ではない。


1858年コネチカット州、レイクビルに。
カーリン(ケルリン)博士のフィラディルフィアでの施設。
セガンが会長でウィルバーが副会長、カーリンが事務局長で実質運営。
内村鑑三(ユニテリアン)がそこで働いていた。
カーリンは、大規模で一生の施設作りを展開。
大人を入れた。しかし施設を大きくするには軽度の人も必要。
そして軽度の人で農園をやり自給自足、ケアは園生で、
というシステム作り。病院ではない。
土地が必要だから町から山へ。


日本は1891年に出来る。
・・・それ以前はどうしていたんだろう。
座敷牢だろうか。地域で集めてケアしていたのか?
それは宗教者か?
疑問は尽きませんね。