Mikity2008-09-29

”彼岸の最後の日にお浄土へ旅立ちました”って
旦那さんの後、半月もしないうちに…だって。
お父さんが連れて行ったとしか思えない、って
娘さんが話しているそう。


その後が大変なんだーって。
どこも一緒だと思うけど、葬儀、火葬…って出ていくものが大きい。
自営業のパン屋さんも開けないとだし(稼がないとーって)
でも、出来るなりのことをするって、
残された人たちは知恵を絞る。
最後まで学ばせて頂いたね。


脳梗塞を多発させ、片麻痺があろうが、
1階にしかないトイレに、2階から夜中も行くと
そこは譲らなかったらしい。
”(パン屋さんだし朝早いし)夜は寝かせろー”と家族で
喧々諤々だったらしい。
結局一人で降りていたらしい、階段を座って一段一段。


排泄を介助するかしないかって瀬戸際だよなーって思っていた。
そこから認知症が進んだ利用者さんをたくさん見た気がする。
他の日常生活動作の介助とは種類が違う。
恥ずかしいっていう感情を持ち続けるか気持ちが切れるか。
人間として…だ。


オムツで排泄することを完全に拒否したある利用者さんは、
Pトイレに移乗できなくなった時点で、
食べることを止めた。
家族が何を言っても一切、口を開かなかった。
寝ている間に、家族は唇を水滴でこっそり濡らしていた。
明治生まれの人で、自分の人に対するイメージというか
確固たるものを内に持つということを色んな場面で見た気がする。
…見させて頂いた。
生き方だ。