Mikity2008-11-13

昨日は、座敷の掃除と廊下掃除。
やっていたら、ぢいちゃんがやってきた。
知り合いのお見舞いに行きたいって。
・・・でも待って、総合病院だから面会時間決まってんじゃない?
と思って調べたら、やっぱり・・・15:00〜だよ。
それを言いにいったら、気に食わないらしく不機嫌に。
しょうがないじゃん。


大学へ。
研究室に行ったら、同じM2の研究室仲間と先生がいた。
今、(修論)見てもらってるところ〜って。
章ごとのつながりが・・・など色々書いてみると出てきますよね。
補論という形で、調べたことを分けて書く手法。


書いているうちに、足りない資料が解る。
そして資料を読み込み、わからないところを調べていくと
その頼りにしていた資料の信憑性が気になってくる。
”資料を疑え”と先生がかなり前から言っていた意味が最近
なんとなくわかった気がした。
”資料に教えてもらうことだね”という言葉を胸に
突き進んでたけ、この段に来て、
傍証をする資料が足りないということを実感。


まず、戦後何十年とたってから生まれた人間ですし、
戦後の状況を知らない(確かに勉強はしたけど、机上のモノで)のは当たり前で。
得てしてドラマ的にしか、そして歴史的トピックスごとの
断続的な戦後の状況しか知らないといっても過言ではないと思う。
1945〜1950年あたりの連続した人々の生活というのがイメージできなかった。
人々、街の悲惨な状況、過酷な生活・・・そして復興の過程。
淡々とその状況に対応していった人たちがいる。
指令を出した人、それに従った人、その援護に協力した団体、人。
そういった風に戦後を見た場合、現在の児童福祉につながる
当時の団体、宗教はどうなっているのか。


その当時の状況を自分なりに理解とイメージするのに
時間がかかった気がする。
ま、そこを理解しないと先に進めないしなー
1年半って短いですね〜


写真は、先日の観覧車(ココウォーク)から見た
長崎市の一部。