Mikity2008-12-14

昨日は玄関掃除して、水子地蔵さんのところの掃除。
水子供養和讃の新しい歌詞のたて看板が建っていた。
古いのと取り替えるのかと思ってたけど。


お茶の稽古。
着物・・・着ました、反幅帯だけどね(笑)
お炭手前をしました。
しましたけど・・・どうなんだか。
濡れ灰が上手く撒けない(笑)
匙を振ったらダメって言われてもさー、スッと撒けないさ。
ま、何回もやることしかなさそうですね。


軸は”無事是貴人”(写真)
”無事である人こそが貴人”
年末にはこの軸を掛けるのが通例らしい。
無事じゃない人なんていないだろー、って思って意味を読み進めると
・・・但だ造作すること莫れ、祇だ是れ平常(びょうじょう)なり、
と後に続くらしい。
”無事”と普段使っている意味とそれとは違うということだ。
何事も無いのが良いことではないということだ。


迷いはおろか悟りにも留まらず、ありのままであること。
本来の自己に立ち返った安らぎ。
人は本来的に仏であり、求めるべき仏も行うべき道もない・・・
何の計らいもない”自然法爾(じねんほうに)に徹する人”
法然上人の”法然”も確かここから・・・じゃなかったかしら。


自然法爾”・・・永遠のテーマですね。