Mikity2009-01-04

昨日はまた、自転車を飛ばし
縦横無尽に区をまたいで、施設巡りをした(笑)
風は冷たかったけど、陽が照っていて
良い天気だった。


その人は、住宅街の一角にある、一見施設とは
わからないような素敵な建物の中にいた。
お昼時とわかっていたので、お昼ごはんを買って行った。
久しぶりに会った彼女の顔は、穏やかになっていた。
一人で在宅生活を送っていた時は、
やはり緊張感が漲っていたんだなあ、と思った。


バッハの平均律の楽譜や、よく弾いてくれた
リストの”愛の夢”の楽譜があった。
”また聴かせてくださいよ〜”
隣には讃美歌集。時々眺めているようだった。
机には立派なラジオがあり、
いつも聴いていた、朝と午後からのFMのクラシックの
流れる番組を今も聴いている。
彼女が何を大事にしていたかわかっている
持ち物を揃えてくれた家族がいて幸せだと思った。


次に会った人は、この間も会った人だ。
行くとやっぱり寝ていた(そんな人じゃなかったんだけどー)
でも声を覚えていたらしく”知りません”とは言われなかった(笑)
公園にでも連れ出そうと計画していたので、
友人が持ってきてくれていた、毛糸の帽子とカイロをからって
公園へいった。外は久しぶりのようだった。
寒かろうが暑かろうが、朝から杖と傘を手に外を歩きまわっていた彼だ。
自分の中の正義と違うと思ったら、主張をやめない人だった。
冬の寒さを思い出してもらおうと、皮膚に刺激を!(笑)


公園のベンチで好きだったココアを飲み、話をした。
”美味しい〜”
部屋へ戻り、いつものように紙とペンを手に、
今日の感想を書いてもらった。また名前も(笑)
”信じていることは何ですか?”と友人が聞いた。
その真意は、かつての彼の姿と今の姿が大きく変わっていて
正直、何を目標にしているか
わからないぐらい(大きなお世話かもしれないけど)、
身体の状態(ADL)も意欲も低下していたからだ。


やはり排泄に関して(おむつにして全介助するか
日中だけでもリハビリパンツにして便器に座るかなど)のことは、
意欲を低下させる大きな一要因だと思う。
最後の砦だ。


驚いたことに”他人を信じること”とササっと書いた。
失礼だけど、まさかそんなことを書いてくれるとは思わなかった。
やはりあらゆることに対して疑心暗鬼な彼もまた(活動的な時の)
見てきて、一緒に様々なことと戦ったからだ。
だから、とても感動した。


最後に会った人は、耳に大きな絆創膏をつけていた。
耳が切れたらしい。リウマチで動きが悪いため、
ある片側を下に寝ていたのだろう。
正月だから彼女の好きなそば屋は空いておらず、ファミリーレストランへ。
たばこ一服して、涙ぐみ、ビールを飲んで感謝していた。
お互い会えたことに感謝!


彼女が娘時代の話を聞いた。初めて聞く話だった。
”(この世は)苦の娑婆だよ〜”
”でも、それがあるうちが花だからさ!”と、
また80数年も生きた人の深い言葉を聞いた。
今年、彼女は母親が亡くなった年齢になるらしい。
その年齢には何かあるんだろう。
そこまで生きるとは思わなかった…、もうそんな年か…
それぞれ意味があるようだ。


別に彼らは、考えて言葉を発しているわけでなないと思うのだけど。
その何気ない一言に、何十年の生き様を見るような気がする。
ま、こちら側の捉え方もあるだろうけどね。