Mikity2009-06-11

昨日は朝からずっと雨。
廊下や位牌場を雑巾がけ。
しかし手際がよくなったよね〜


ぢいちゃんと諫早のお寺にご詠歌のお稽古のつもりで
行ったら、日にち違ってた。
ああ、やっぱり・・・。
そんなさ、手帳に書いとる!ってぢいちゃんがいくら主張しても
思い違いだからさ〜あんまり説得力なかばい。
もしやと思い、急いで長崎市のお寺に電話して日程を確認してみる。
どうも行き違いだね。


だもんで、授業に間に合うな、と頭を切りかえ
大学へ。”すいみません、間に合いました〜”
良心。
・・・良心(法からはずれたものはない)に帰属せしめる。
証する、拘束する、励ます、非難する、呵責する・・・
(我々の知を)つまり具体的行為に適応する――”おこない”


ある事柄を為したか為さなかったかを認める”はたらき”
即ち、自分の行為に対する”自己意識”
行為が為されたか為されなかったかを知るかぎり、
ある行為の良心を持つ・・・”心理的良心”


自分の理性的判断に従い何かを為すか為さないか
――”はたらき(最終的判断、規範)”
行うべきかそうでないかというのは倫理的良心である。
人間の倫理的行為の最終的規範は”良心”


三段論法。
・・・人間は皆死ぬ。私は人間である。”私は死ぬ”
自然法の実践的第一原理――”良知”
小前提――上位理性的知、下位理性的知
倫理的、具体的結論を引き出すはたらき――”良心”
悪い行いを避けることが出来る・・・思弁的判断


しかし、良心は人間の倫理的、人間的行為の最終規範であるが
最終的決断を下す自由意志をは異なる。
良心と自由意志の決定ないし選択は、
「今」「此処で」為されようとしている具体的行為にかかわっている。
思弁的判断を前提としたうえでの自由意志――”決断”


良心の声と、自由意志の決定の一致・・・
虚栄心、勇気のなさ、一時的な喜び悲しみのために
一致しないことが多いという経験的事実。
良心の呵責に苛まれる。
”口で過ちを犯さない人は、完全な人間である”
I terribly sorry for what I said to you・・・


物的環境、法的環境がたとえよくなっても
その人の苦しみは消えない。
”苦しみ”の価値とは。