Mikity2010-10-09

やっと一段落。
もう印刷所に持って行ったら、
四の五の言わない。
次次〜


吉水講講員さんの二七日。
おつとめし、御詠歌を奉納させて頂きました。
少し雨が降っていましたけど、集まり、
講員さん十数名とおつとめできました。
思い出話、一番いいと思うんだよね。


”死んだ人は食べない”と思ったんですよ〜と。
この体験は、小1の時、お墓にお供えしてあったリンゴを齧って、
齧った側を裏側にして戻したものが、
いつまで経っても変わらなかった、というのを見たからなんだと。
人間、生きることだと。
そのためには、食べること。


昔の人は、生きることに精一杯だった。
しかし、餓死、訳のわからない疫病で、周りの人がバタバタと死んでいく…
人生50年の時代、死は隣り合わせだったと考えると、
そんな時代だからこそ、死を想って生きていたのではないか。
死の恐怖は拭い去れない。
…そこに宗教の役割
どうしたら地獄ではなく、浄土へ往生できるのか。
そして人が死んだ後、残された人はどうしたらいいのか。


愛する人を亡くした時、やりきれない気持ち、信じられない気持ち、
心の整理をどうするか。自分を責める…?
せめて出来ることは、故人が浄土や天国へ往ったことを想い、
色んな思いを、色んなものをお供えすることなんだと思う。
様々な現状を憂いて、嫌悪感を全面に出し、私は無宗教、とよく言われる。
言われる度に考える。
故人を前に、お墓を前に何かお供えしない人はいないと思うし、
無宗教な人間っていないと思うんだけどね。
…まだまだ深慮が足りません。