Mikity2011-07-28

もうすぐ8月だ。
というのも、施餓鬼塔婆の申込みの方が
お見えになるからだ。
お墓の掃除をしたのであろう、
草木も山積みになってくるしね。


法からモノゴトを見ない、という信念を持ちつつ、
しかし言葉を追っていくと、そこへ行き着くことは多々ある。
知ることは必要だし、結果そこに根拠があったりする。
特に日本仏教は、行政と近い。
しかし、実態(実践家の実践)の方が先なんだ。
市場原理の内面から出てくる社会問題…そこに対応する人がいる。
そこに人がいたから?その人の弱さが理解できたから?
その立場(宗教者)の内的自覚から?


どうも平安時代からあったという公益という言葉。
社会という概念化がなされていない時代に既にあったということ。
勝手に社会という言葉の後だろう、と思っていたけど、
そうじゃない。


写真は、鐘撞き堂に止まっていた蝉。
多分、ガンガン鐘を撞いているときも、ジッと止まっていたんだと思う。
激写した後に、ファサーっと飛んでいった(笑)